2018/03

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「原点民藝」
著者 池田三四郎 発行 1986年 
写真家の後、民藝運動に共鳴し、松本民藝家具の社長を務めた
池田三四郎のフォトエッセイ。

この本の巻末に、全国の民藝館案内があり、その中に

松本民藝生活館 近日公開予定

とある。

今は無くなっていると思うが、昔、松本駅前の地図の片隅に
● 松本民藝生活館
という、文字を見つけて、探して行こうとしたが、どうしても見つからない。
あとで、松本民藝家具の職人の寄宿舎であるから、外部の人は入れないことを
知った。


この松本民藝生活館の本を入手した。
発行が松本民芸生活館となっている。
初版は昭和46年で、落掌したのは昭和53年の3刷だから、少なくない冊数が
発行されたことが想像出来る。

この目次に「クラフトの体験と知恵」「クラフトの組織」という項目を見つけ
いささか驚いた。

紐解いてみると、以下のように使われている。

「クラフトの体験と知恵」
 昔はよく「農は国の基」と言われたが、私はこれを「クラフトはは国の基」といいかえたい。
勿論クラフトとは人間の手に夜技術的な仕事のことである。このクラフトの錬成によって、
クラフトを生活の手段にしようとしまいと、人間というものはどこかで、このクラフトの錬成に
よって得られる健康な「行」の知恵を身につけなければならない、と信じている。

「クラフトの組織」
 われわれはかつて危機に瀕した家族的クラフトの集団を組織化することによって、故柳宗悦先生の
切なる希望である松本木工家具のクラフトの生命を護って来たのであるが、その在り方もここで
さらに一歩を進めて考えてみなければならない時点に至っていると思うのである。
 とく問題とすべきは後継者である若いクラフトマンと、新しいクラフトマン・シップ(職人道)の
形成のためにどのようにすればよいか、これが技術的クラフトの伝承を当時に今後の民芸活動の
前向きな方向として考え、実践していかねばならない大事なところに立っていると考える。



と、ある。

平成2年に沖積舎から発行された、同じく池田三四郎の「松本民芸家具への道」にも
クラフトの文字は出てくる。

 もともと民芸の仕事は、人を集めて、機械を使って、規模を大きくしてやれば良いというものではない。
なんといっても手仕事だから、クラフトマンを育てなければいけない。クラフトマンは簡単に
育つものではないのだから、急に生産量を増やすことは出来ないのである。


 そもそも、池田三四郎はカタカナを好んだ人のようで、文章には民藝という
ことばのまわりに、クラフトだけでなくパッションやヒューマリズムやら
セクショナリズムなどカタカナがやたらと出てくる。だから、「クラフト」も
自然と出て来た言葉なんだろう。

 日本クラフトマンデザイナーの設立が1956年
 クラフト・センター・ジャパンの財団法人の認可が1960年。
 「松本民芸生活館」の発行が1971年。
 まったく、「クラフト」が認知されていなかったことに、少々、悲しくなる。

 そして、この地で「クラフトフェアまつもと」が31年も続いている。

 池田三四郎が今、生きていたら、「クラフト」をどんな風に使うだろうか、
そして、「クラフトフェアまつもと」が「クラフト」という言葉を使わなかったら、
などと、この冊子を見ながら、思った。



 ちなみに、池田三四郎は国井喜太郎賞の第一回(昭和48年)受賞者。
 


富山県高岡市。
最初は2007年(2006年?)に高岡デザイン・工芸センターに
呼ばれたのが最初の訪問で、その後、高岡クラフトコンペの
審査員や高岡地域地場産業センターのアドバイザー、
新高岡駅のギャラリーMONONO-FUの選品など、なぜか
切れずにおつきあいが続いている。

何か、高岡と赤い糸で結ばれているのでは…と、思っていたが
結ばれた先には、国井喜太郎がいた。


国井喜太郎は<工芸ニュース>を発行していた、産業工芸指導所の
初代所長。財団法人工芸財団は<国井喜太郎賞>を授与しており、
その受賞者はわたしが<クラフトたるもの、こうあるべき>を
実践して来た人が多い。
その国井喜太郎は高岡出身で、高岡工芸高校の校長と
富山の工芸指導所の所長をしていた時に、国から呼ばれ
産業工芸指導所の初代所長になったらしい。


なぜ、<産業工芸の父>と高岡の繋がりに、気付かなかったのか。

今更ながら、調べるつもりだ。


 


クラフト・センター・ジャパンのクラフト見本市2014に掲載した文章です。  
流通の話をするにあたり、まずクラフト・センター・ジャパン(以下CCJ)の歴史を振り返ってみる。  CCJの発足当時からの大きな活動の柱に選定業務がある。良質なクラフトの選定をしたものを販売する展示場は、日本橋の丸善に財団法人として認可された1960年の前年(1959年)にできた。公益法人で直接、販売にかかわることができないため、丸善の工芸品課、輸出の場合は輸出部を通じ、販売にあたらせるといった独特のシステムを採用した。常設展示場は日本橋本店以外、後には札幌、名古屋、京都、岡山にも同様の場所を持ったため、選定されると一気に5カ所の売り場を持つことになったのだ。  作り手にとって販売先は一つでも多い方が良い。ただし、売れない場所が無駄に増えても効率は良くない。その点、丸善の売り場は、選りすぐりのものばかりであるから、お客も安心して買える。プレゼントや海外の土産物は必ず丸善で買う人とか、お歳暮や記念品はこの売り場で選ぶ法人もあり、選定されれば他の仕事をしなくても良いような作り手も、少なからずいたようだ。  しかし、その程度しか生産(販売)量がない、とも読み取れる。クラフトの流通の悩みはそこにある。数ができない。注文してもなかなか入荷しない。待たせて当然、といった空気がある。また、モノによっては、できあがりが毎回違うものもある。量産ものしか使わない人には信じがたいことだろうが、陶磁器では焼き色、手書きの絵だと筆の勢い、ガラスも手吹きだとニュアンスが微妙に違ったり、染め物も色で具合が違ったりすることもある。漆はこれらに比べれば安定した仕上がりだが、なにせ、作るのに時間がかかる。鉄鋳物など、型を使い、ある程度の量産ができるものもあるが、おおかたは、扱いにくく、もうけにくいのだ。  ただ、個人作家ばかりがクラフトではない。企業としてクラフトを作っているところもある。発足時のメンバーである、佐藤潤四郎、吉田丈夫の両氏はカガミクリスタルのデザイナー。加藤達美氏は北欧の窯業所で学び、帰国した後、ムーンライトシリーズをデザインし、瀬栄陶器で製作、Gマーク第1回を受賞する(現在はセラミックジャパンが復刻している)。このようにデザイナーと組むクラフトは古くからあるのだ。ではクラフトの生産に向く工場とそうではない工場の違いはどこにあるだろうか。デザイナーも、クラフトの精神を持ったデザイナーは、図面だけでは済まさない。足しげく工場に通う。わが子の出生を任せるのだから。任された工場はデザイナーの意図を組み、体現に向けて原料も探し、治具も開発し、討論も試作も重ねて生み出す。効率を重視したら、ブームが過ぎた品物は廃盤にする。しかしクラフトの精神を持った工場は一年に数回しかこない注文も作り続ける。飽きがこないから、買い足しが必ずある。それに応えるためだ。量が作れても作れなくても、やはり効率よくもうけるようなモノではない。  さて、流通に話を戻す。昨今、全国でクラフトフェアが盛んで、開催も増えている。土日だけ、公園等で開かれるクラフトフェアは作り手と使い手が直接、接せられる良い機会だ。中にはクラフトフェアを回って、一年、終わる作り手もいるようだ。だが、このクラフトフェアだけでモノづくりを完結してほしくない。多くのクラフトフェアは出展料だけで後は売り上げが100%、現金で入る、言って見れば割の良い商売だ。使い手の意見が直接、聞けるのも良い。だが「店に卸す」ことは自分を高めることであることを忘れないでほしい。卸である以上、店も利幅を取る。その割合が大きすぎると感じる作り手もいるようだ。しかし、店にあることで、注目され、お店のコーディネイトにより違う見え方をし、普段会えない使い手に使われる機会を得るのだ。さらに、プロである店主の厳しい意見も聞ける。  一方、お店の方にはこうあってほしい。ネットの発達により、作り手と使い手の距離は驚くほど近くなった。だが、すべての使い手が作り手に会える訳ではない。売り手は作り手の代弁をするのだ。そして、作り手には使い手の代弁をする役割も担っている。そのためにはまず店主みずからが品物を買って試すこと。使い勝手はもちろんだが、値段相応の作りをしているか、作りは安定しているか、などを厳しくチェックしてほしい。流通に乗せることによって、作り手も売り手も、そして使い手も一歩上を目指せる。  丸善の売り場には愛媛県の砥部焼が常に置かれていた。量産ができる工場だが、手作業のため、仕上がりは多少ムラがでる。工場では丸善に納めるものは出来がいいものだけ取っていたそうだ。それはCCJへの敬意の表れでもあり、ここのお客の眼が肥えているので、良い仕上がりのモノを納めないと満足してもらえない、という緊張感からだったのだろう。お店をする方は、ぜひ、この当時の丸善のクラフトコーナーのようになってほしい。そして使い手にはこういった緊張感を持った店を育ててほしい。扱いにくいクラフトだからこそ、この図式が成り立つと思うのだ。(日野明子・ひとり問屋)

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 岩手:鉄鋳物(小笠原鋳造所)

南部鉄器の始まりは平安時代の末期。地元で取れる砂鉄を使い、今も鉄瓶などの茶道具を始め、鍋や文具などの生活用品も作っています。南部鉄器の産地は岩手県の盛岡地域と水沢地域の二地域です。古典的なアイテムから、プロダクトデザイナーがデザインしたものまで、多くの従事者が今も鉄の重厚な質感を生かしたモノづくりをしています。


Iwate: Cast Iron (Ogasawara Chuzo Co.)

The history of Nambu ironware dates back to the last era of the Heian Period. Due to the existence of a local iron sand mine, products ranging from tea wares as kettles and pots, stationeries, to household goods are still being handcrafted today. Morioka and Mizusawa in Iwate Prefecture are the two representative regions of Nambu cast iron. From traditional wares to contemporary designer products, many craftsmen are engaged in producing wares of exquisite quality.





テーマは「日本の手仕事/地域/素材」です。日本の生活にはさまざまな自然素材が使われています。土から生みだされる陶磁器、楮(こうぞ)などの植物からは紙、竹は素材そのもので篭を、鉄は土瓶や鍋に…といった具合に生活で使われる用具には素材が生きています。これらをつくる「職人」は、地域性を重んじ、長年培われて来た経験をもとに,素材を生かしたモノづくりを、日々黙々と続けています。工芸品とすら呼べるこれらの品々を、我々日本人は使い、使うことで、さらにモノが生き生きし、生活自体も豊かにすることを知っています。

 このコーナーでは、モノから素材と作られている地域にも興味を持って頂きたいと思います。


The selection was made under the theme of “Handicrafts of Japan, Its Regions and Materials”.

Various natural materials surround our lives in Japan.

The best of these materials are used to create distinctive craft wares such as ceramics born out of clay, paper made from plants such as kozo, and baskets woven from bamboo. The craftsmen of these wares, while maintaining a high regard for regionalism and following cultivated experiences, continue to produce diligently. We use these craft wares that are almost works of art on a daily basis, and by using them, the wares are given life, and our lives are enriched in return.

    We hope that the displayed craft works will engender interest in the regions where the crafts and materials originate.


  東京・六本木は東京国際映画祭一色になっています。

この東京国際映画祭の併催として、映像関係の見本市
TIFFCOMが催されています。
来場事前登録は終了致しました。)

こちらの電通さまのブースにて[日本の地域の工芸]を
ご紹介しております。

2011年10月24日(月)〜26(水)9」00〜18:00 六本木ヒルズ

企画 阿部睦美(DENTSU.INC)
監修 日野明子
写真/モニター画像編集 木村文吾  

出品は 
鋳鉄        小笠原陸兆           (岩手)
竹工芸   久保一幸                   (東京)
 硝子   木村硝子店松徳硝子(東京)
陶器        小鹿田焼・坂本工窯     (大分)
織物        玉木新雌                 (兵庫) 
蛭谷和紙    川原隆邦                   (富山)


special thanks : LUFT 真喜志奈美 
        輪島キリモト
        岩手県工業技術センター







 一時、ドメインが開かなかったこのseikatsukogei.com のアドレス。
復活しました。
仕事はじめは[TIFFCOM]です。
これをきっかけに、英訳してもらった簡単な
のつくり手紹介をする予定です。


  地震から3ヶ月。
 まだ厳しい生活を続けられる方々が多くいらっしゃいます。
 直接のお手伝いが出来ずにいるもどかしさを抱えながら
自分の出来る事を少し始めます。
 杜の都の「うつわのチカラのわ」。
 こちらに関しては、取り急ぎは、
うつわのチカラのわ」HPおよび、
うつわの連絡帖」ブログ
で、お伝えするとして、こちらでは「生活工芸」の話。

__________________________

 6/11、福島に向った。
 この祭りを知ってから、何年も逃したまつり『工人まつり』に向うため。
「工人」とは何か?三島町のHPによると

「三島町ではものづくりする人のことを工人(こうじん)と呼んでいます」

とある。
 特に『編組(かご類)』に特化しているという。
 このまつりには全国から籠好きが集まる、という。
 さらに、ここに行くには『只見線』に乗らなくては行けない。
 いや、「只見線に乗れる」のだ。
 JRの青春18切符の広告に数年前に使われて以来のあこがれの地だ。
 ただし、非常に列車が少ない。
 会津若松出発が5時台、7時台、その次がなんと13時台。
 
 だったら5時台…ということで5:59の会津若松発の列車に乗ったのだが
早起きは三文の得だった。
 朝もやの中の景色は、写真ではとてもじゃないけど、再現できない。
 空気が違う。緑が濃い。福島県がいかに豊かな土地であるか…を体感した。


 そして、会場。まつりの会場は『三島町生活工芸館』周辺。
 ここに150もの「工人」が集まる。
 籠だけではなく、木工や陶器も混ざっているが、とにかく
手作り感が溢れている。テントに手書の看板。
ほっぺたの赤いおばあさんやおじいさんが「わしがつくったんだよ」
…と言いながら、売っている。一見すると同じような籠に見えるが
人によって丁寧さが違う。性格や技量、素材の処理などの違い、
形はほとんど違わないが、仕上りが違う。ただし値段はほぼ皆
横並び。通い慣れているお客は、ひいきのテントに直行して買い物をして行く。

 この「三島町」のモノづくりの歴史は、千葉大名誉教授の宮崎清先生の
30年前の訪問から始まる、という。一度、宮崎先生の一般を対象にした
講義を聴いたが、この小さな町に来て、町の住民が籠編みを得意とする、
ならば、籠編みを売りにしよう…と発案した宮崎先生と、それを信じて
進んでいった住民達は素晴らしいと思う。
 最近、コミュニティーデザイナーの「山崎亮」さんが「情熱大陸」で
村おこしの手法として取っていたやりかたを、30年前に始めているのだ。
 自分たちの「日常」が、財産」である、ということを知った時
さぞやびっくりしただろう。
 長老に聞いたところ、自分たちの道具としてだけでなく、
年始の挨拶がわりに、お医者さんなどに、笊・籠は使っていたらしい。

 活動が実り「三島生活工芸館」という建物が出来た。
 この建物はしっかり使われている。
 長老達が編み講座などを定期的に開いてモノづくりを伝えている。
 これが1回きりの講座ではなく、本気モードの7回連続講座などなのだ。
 教え、教えられ、人が通い、町が活気づき、技術が伝わる。
 「最初は大変だったんだよ」と長老は言っていたが、粘り勝ちしたようだ。
 
 われわれのような商売をしている人に取って、籠編はつくり手が
見つけにくい。何故かというと、多くの地域が専業ではなく、農閑期などに
小遣い稼ぎという感じで作り、それを地域のまとめ役が買い、売ることが
多いからだ。片手間仕事といっても、毎年やっていればプロだ。
日本のものづくりの底力は「半農半工」であったのだ。
 
 ついつい「専業のモノづくり」=プロ。と思いがちだが、日本の
モノづくりは多様だ。編組のように効率化をしにくい作業はこれからも
「半農半工」が主流なのかもしれない。

 そして「生活工芸」という言葉。
 「生活工芸」は「生活の中に寄り添う工芸」として使っていたが
三島町の「生活工芸」は「生活の中に息づく工芸」であることを知った。
彼らの持っていた技術を活かし、見事に成功した証しに、本当に
みんな楽しそうにまつりに参加していた。
 ちょっといじわるな質問を長老に投げかけた。
「喧嘩などなかったんですか?」と聞いたけど笑って首を横に振っていた。


 さらにもう一つ考えさせられたのは「デザインってなんなのだろう」
ということだった。もう25回目というのに、まったくの手作りの
まつりだった。看板もチラシも。緑の木の中でのまつりにはそれが
似合っていた。…というか、その(わるい良い方をすると)やぼったい
看板の中で、本当の腕のいい職人の籠を見つけられるか…と
挑戦状を叩き付けられた思いだ。
(もっとも、緑と木の葉の敷かれた地面を歩くのが気持ち良くて、
いつしか、その挑戦状はどこかに忘れて楽しく会場を歩いていたのだが)


 少しの予備知識と、短い滞在時間の中で感想を述べるのは限界があるので
余計な感想は述べるまい。

 『会津若松発5:59の只見線に乗った風景』はお薦めです。

 百聞は一見にしかず。
 まつりも只見線も楽しめるはずです。






 人の想像を超える地震が起きてしまいました。

 わたしは阪神淡路大震災の際、テレビを持たず、ラジオと
新聞のみでその残状を知るしかなかったのです。
 今回、時代が変わり、(あいかわらずテレビは持っていないが)
USTREAMでテレビニュースを流しているので、リアルタイムの
画像が見られる様になりました。ツイッターはやっていないが、人の
ツイッターを覗いて、人の安否を確認できました。ツイッターを
毛嫌いしていたけれど、今回は、この存在の素晴らしさが解りました。
 そして「情報の大切さ」を認識しました。


 東京で、こんな風に冷静にいられることに半ば後ろめたさを
感じつつ、これから何をすべきか考えてしまう。

 幸い、知人・友人からは「無事」の連絡が来ています。
 しかし、その「無事」は身体が無事なだけで、窯が壊れ作品が壊れ、
家が崩れ、人によっては放射能の恐怖が迫って来ているのです。
 今すぐ、自分に出来ることは節電ぐらいだが、今後、被災した友人知人が
「元の生活」「元の創作活動」に戻れるよう、出来る限り協力したいと思います。


 それにしても、テレビに映し出される、救助の人たちの姿には頭が下がる。

 何もできない、自分がとにかく歯がゆい。



 陶ismが今年も開催される。
3/20(日)、21(月・祝)場所は去年と同じ益子陶芸倶楽部 民宿古木
若手陶芸作家の見本市。
名前からして勇ましいが、事務局の丁寧な動きには、背筋が伸びる。
遊びじゃ出来ないほど真剣にやりつつ
でも楽しいからやっている。
青春ドラマのような気恥ずかしさも少々あるが(笑)
泥臭さとおしゃれ(カフェ部門はとくに!)と真剣さが
混在するイベント。
こういうイベントは、体験しないと良さは解らない。


そのスピンオフ企画が麻布十番ギャラリ―で開催中。
2011年2月23日(水)−2月28日(月)
11:00−19:00/火曜休廊
 最終日17:00まで 

写真は、オープニングパーティー。
ワカモノを応援する、麻布十番ギャラリ―の久米夫妻も
楽しそうでした。